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■2011年スタート

−再構築に向けて2−

2011年がスタートしました。
今年のテーマは、『再構築』。
ビジネス上の人脈、プライベートの人脈、ビジネススキルという基盤を強固にして、その基盤の上に、新しいビジネスモデルを再構築します。

『商社』という仕事が私の仕事です。
具体的には、雑貨・文具・玩具の『商社』。
日本のメーカーから依頼されたものを、中国現地工場にオーダーをして、生産管理を行い、日本のメーカーに完成品を納品するまでが私の仕事。
このビジネスには、クライアントとの強固な信頼と、中国人パートナーの信頼が必要です。物流の流れも理解しなければいけませんし、日本市場の状況把握も重要です。
つまり、何かの業務に特化したスキルも大事ですが、広い視野が必要な仕事です。
日本側だけに特化しても駄目ですし、中国側に特化しただけでも駄目です。
複眼的に物事を把握し、理解することが重要です。
2010年は、自分の持っていた、これまでの能力でビジネスが成り立たせることが可能でした。
しかし、ビジネスを拡大させるためには、新しいビジネスモデルが必要です。

結局のところ、私の行っている業務は、日本メーカーの下請です。
2011年は、この「下請業務」から脱却をしなければいけないと考えました。

選択肢は様々です。
1.日本の流通も理解をしているので、日本で法人を立ち上げ、オリジナル商品を販売する。
2.日本で法人を立ち上げ、中国市場で流通している商品を、日本に輸入し、日本の問屋に卸す。
3.日本で小売店を立ち上げ、中国市場で流通している商品を販売する。

年明け早々に、上記ビジネスプランを、友人知人に相談をしてみようと考えています。
自分に何ができるのか、自問自答しながら、今月は過ごしてみたいと思います。
2011年は再構築の年です。

■2010年総括

−再構築に向けて−

今年1年のビジネスを振り返ると失敗の連続だったような気がします。
1月〜3月は、妻や息子が病気をして、その看病に追われる毎日でした。
4月〜6月は、日々、営業に邁進しましたが、思ったような成果を得ることができませんでした。
7月〜9月は、転機の時期です。新しいビジネスに着手して、動き回る毎日でした。
10月〜12月は、継続の時期です。最後の12月に、少し体調を崩してしまいましたが、なんとか年末まで乗り切りました。

総括です。2010年は、転機の時期でした。想像以上にビジネスは厳しく、模索を続ける中で、新しいビジネスモデルを構築する「きっかけ」を掴んだと思います。

日本経済は落ち込んでいます。「少子高齢化」、「大都市と地方の格差」、「雇用対策」と、様々な問題が入り組んでいます。問題の根は深く、おそらくですが、取り除くことは不可能に近いでしょう。

解決の糸口は、人の流動性にあると思います。政府が本当に雇用を増やしたいと思っているのなら、企業に雇用補助金などを出すよりも、解雇規制を無くしたほうがはるかにいいと思います。「金融は経済の血液」と言われています。血液もカネも「流動性」であり、それは人体というシステム、経済というシステムを生かすのに不可欠なものです。その流動性が失われれば、システムは止まってしまいます。よって、流動性は「システムの生命」そのものといってもいいくらい重要なものです。

日本の問題は、「人の流動性」が低すぎて、ノウハウが循環しないことにあります。ノウハウが循環しなければ、システムは変化に対応できません。インターネット以降、人類史のスケールで見ても大きな文明的変革が起きているこの時代に、ノウハウが循環しないシステム、世界の変化に対応できないシステムというのは、まさに致命的です。

これは、システムを構成する人間の「努力」が不足しているという問題ではありません。システムが規制でがんじがらめになっており、人材やノウハウが流動しないという「制度」の問題なのです。

これに対して、中国政府(及び中国の社会)は、独裁的な国家という問題点を除けば、今の時代にマッチした国家です。「人の流動性」がとても高いのです。人々は、高い収入の職を目指し、転職を繰り返します。起業をして大金を手にすることにも夢を抱いています。貧富の差がとても激しい社会ですが、「人の流動性」という点においては、今の時代にマッチしていると考えます。

2011年の私のテーマは、『再構築』です。日本中心のビジネスから、中国を中心とした世界的なビジネスに発展させるためにも、基盤を『再構築』して、次のステップに踏み込もうと考えています。

■バカな若者が搾取される格差社会

−フリーターに与えられた「夢」と「現実」−

経営難に陥った企業は、まず「新卒社員の見送り」という名のリストラを敢行します。社内の誰も傷つけまいとする内輪の倫理です。しかし、実際には若手社員がないと会社は回りません。日本の企業は、安い賃金で働く大量の若手社員が、高い賃金の中高年社員を支えるしくみになっています。たとえどんなに景気が悪くても、安い賃金で丁稚奉公してくれる若手社員は必要なのです。そこで企業は「非正規の従業員」を大量に雇います。フリーターから派遣社員まで、とにかく安い労働者を活用することで、これまでどおりの「若手が中高年を支える」というしくみを維持しようとするわけです。

さあ、問題はここからです。

フリーターの中には、たとえばミュージシャンをして成功するといった「自分の夢を追い求めるため」に、あえてフリーターの立場を選んでいる人もいるでしょう。そして派遣社員の中にだって「自分の天職と出会うための準備期間」として、派遣社員という形を選んでいる、といった人は多いはずです。

企業からしてみれば、どちらも大歓迎です。

どんなにバカげた夢でも、好きなだけ追いかけてくれればいいのです。とりあえず今日や明日、安い賃金で働いてくれさえすれば、それでいいのです。夢が実現しないまま長く働いてもらってもいいのです。基本的にフリーターや派遣社員には微々たる昇給しかないので、どれだけ長期で働こうと、企業側としては困りません(むしろ仕事を覚えてくれるので好都合です)。

そしてもし、すぐに辞めてしまっても、「交換要員」は山のようにいるのです。


そういえば、ちょうど九〇年代半ばくらいから、やたらと「あきらめずに夢をチャレンジしよう」だの、「もっと自分を大切にしよう」だの、「オンリーワンの自分が」どうのといったフレーズが世に溢れるようになりました。そして、それまで蔑まれがちだった無職の若者たちが「フリーター」という免罪符を得るようになりました。単なる無職にすぎないはずなのに、カタカナで自分の社会的地位を語れるようになりました。さらにフリーターの急増が社会問題化すると、労働者派遣法の改正によって、人材派遣に関する規制は大幅に融和されました。派遣社員たちは「フリーター以上、正社員未満」的な存在として、それなりの社会的評価を得るようになりました。

これはどういうことでしょうか。

まず、フリーターや派遣社員たちは、自分の夢を追い求めながら、しかも「非正社員」であることをなんら恥じることもなく、堂々と生きていけるようになりました。その結果、非正規の従業員人口は急増することになります。そして企業は、安い労働力をいるでも手軽に確保できるようになりました。わざわざ新卒の本社一括採用や社員研修などにコストをかける必要がなくなりました。

「安い賃金で働く大量の若手が、高い賃金の中高年を支える」というしくみを、これ以上ない形で実現することができました。これらがすべて偶然だとは思えません。


世の中には確実に「頭のいい連中」が都合のいいようにシナリオを書き、何も異議を唱えない正直者がこれに乗っかるシステムが完成しつつあります。

◆ブログの友人に向けて

文章を書くことを職業としていける人は少ないですが、世間を渡っていくための当たり障りのないコミュニケーションには出さないけれども、『本当は自分にとって一番大切なこと』、というのは誰にでもあって、ブログを書き始めると、ブログなしの人生なんてもう考えられないという風に感じる人が多いのも、ブログが今まで表現してこなかった、「自分にとっての違和感」とか、「今感じている知的興奮」とか、「理由はうまく言えないけれども人に伝えたいこと」とか、そういうものを表現するための場所と機会を与えてくれるものだからなのだと思います。

会社での仕事や大学での研究における多くのプロジェクトでは、組織が効率的に機能して、ゴールにできるだけ早くたどり着くことを意識しながらコミュニケーションをとっていきます。プロジェクトのメンバーとのコミュニケーションの中で、仕事に直接関係しないことについて触れるのは、酒の席やプライベートで会っている時間が多くなります。そうなると生きている時間の中で、圧倒的に多くの割合を占める「仕事の時間の中での自分」というのは、仕事の効率や正確さや創意工夫や、あるいは一緒に食事をしているときに粗相をしないとか、場を盛り上げることができるかどうかとか、そういうちっぽけなことでしか表現も評価もされないでしょう。

だからこそ、ブログに意味があるのだと思います。仕事の中でのコミュニケーションでは表現されなかった「感覚」「発見」「考え」がブログというメディアで伝えられて、それを読んでくれた人とは前提を共有したコミュニケーションが取れるようになります。しかも、読む側にとっては読みたいときに読めばいいから押し付けがましくないし、相手のことをもっと知りたければ、過去のエントリーを気が済むまで遡って読んでいくこともできます。書く側にとっては、義務も締め切りもないから自分が書きたいものがあるときに書くことができるし、誰かに審査されたり採点されたりするわけではないので、限られた人だけが表現の機会を与えられるわけでもありません。

たくさんの人からフィードバックが得られて発見があったり、自分の考えが整理されたり、ブログにはたくさんの良いところがあるのだけれども、こうして普段表現されない部分でのコミュニケーションを補ってくれることが、私にとってはブログを書く意義の中で一番大きなものであるように思えます。ブログを書き始めて一年程になりますが、私もブログを始めてからブログなしの生活が考えられなくなった人間の一人です。もしブログが世の中からなくなってしまったら、私は半分くらいになってしまうかもしれないでしょう(笑)。

◆ブログの友人に向けて

【悪いものではなく、良いものを引き寄せよう】

人々が自分の欲しいものを手に入れていない理由は、欲しいものよりも、むしろ、欲しくないものを考えてる時間が長いからです。自分の思いとか、発している言葉に注意を向けて下さい。

何か欲しいものに意識を集中させると、「縁」はその最大の力で、その欲しいものを呼び寄せます。残念なことに、非定型かどうかまで「縁」は判断できません。否定形の表現をしても、それを呼び込んでしまうのです。否定形の言葉を発しても、「縁」は次のように解釈します。

「風邪をひきたくない」
→「風邪をひきたい、もっとひきたい」

「論争したくない」
→「もっと論争したい」

「仕事が多すぎて、すべてをこなせない」
→「仕事がもっともっときてほしい」

「あの人に屈辱されたくない」
→「あの人に屈辱されたい」

「縁」はあなたが一番思い描いていることを実現してしまいます。それだけです。

今、考えていることがあなたの未来を作ります。あなたは自分の人生を自分の思考で造り上げているのです。そして、いつも思考をしてるということは、いつも創造しているということになります。あなたが、一番集中して考えること、または一番関心のあることが、あなたの人生で実現していくのです。

あなたが不幸なことを言っていれば「縁」は、間違いなく、あなたが不平不満を言いたくなるような状況を作り出します。また、人の愚痴を聞いて集中し、それに同情し、それに同意していれば、やはり、その瞬間に今度は不平を言いたくなる状況を自分のもとに引き寄せているのです。

この「縁」は、あなたが思いを集中させているものどおりのことを単純に返してくるのです。「縁」を信じて、あなたが考え方を変えさえすれば、あなたは人生の全ての出来事や状況を完全に変えることができるのです。

普段、使う机や、毎日見る鏡などに、自分の「夢」や「理想の場所」の写真を飾りましょう。これを絶えず意識することによって、自分の理想とするものを引き寄せましょう。